戦争と革命の世界史 第五章世界大戦の火種 についての備忘録
第五章 世界大戦の火種
ドイツ
17世紀初頭に起こった三十年戦争以来、分裂状態が続いていた
⇒19世紀 民族意識(ナショナリズム)の高揚とともに統一運動が盛んに
1815年 ブルッシェンシャフトのイエナ大学の学生運動
⇒触発されて統一運動や立憲運動が頻発
⇒1834年 関税同盟が結ばれる(経済統一の成功)
1848年 フランスで二月革命
⇒触発されて ウィーン三月革命、ベルリン三月革命、チェコ独立運動、ハンガリー独立運動、イタリア独立運動など革命の嵐
⇒平和的な話し合いでドイツ統一をと、フランクフルト国民会議も催されたが失敗に終わる
⇒プロシアを中心とする「上からの統一」が始まる
ビスマルク、鉄血演説を行い、武力をもってドイツを統一することを表明
⇒反発する議会を停止、本格的な統一政策に乗り出す
ドイツ統一のために障害となる国
北 グリュックスブルク朝デンマーク王国
(デンマークとドイツは永年にわたって領土問題を抱えている)
(小ドイツ主義と大ドイツ主義でドイツ統一の主導権争いをしていた)
西 ポナパルト朝フランス帝国
⇒この四国にとって、隣のドイツが統一され強大なドイツ帝国が生まれることは不利
1963年 ロシア領内のポーランド州で起こった一月蜂起(ポーランド独立運動)に援軍を送ってロシア皇帝アレクサンドル二世の歓心を買い、ロシアと中立条約を結ぶ
デンマークとの領土問題 シュレスウィヒ・ホルシュタインの両州をデンマークが併合宣言
この2州の住民はほとんどドイツ人。ドイツ統一のためには必ず手に入れなければならない土地であった
⇒しかし、プロシアがこの併合を認めず開戦すれば、デンマークはスウェーデンかフランスに援軍要請をすること必至⇒プロシアに勝ち目なし
⇒そこでビスマルクは「我々ドイツ人固有の領土をデンマークがかすめ取ろうとしている」などとオーストリアをけしかける
⇒ドイツ人という民族意識をくすぐることで関係の悪かったオーストリアを味方につけた
デンマークに味方すれば大国オーストリアと戦わなければならないと気後れしたスウェーデンはデンマークへの援軍を翻意
1964年シュレスウィヒ・ホルシュタイン戦争が勃発
孤立無援のデンマークは大敗を喫し、シュレスウィヒ・ホルシュタインの両州を放棄
⇒デンマークから奪還したこの2州を独占し、オーストリアを怒らせ開戦口実を作る
大国のオーストリアに勝つための準備
1965年 フランスの軍事介入を防ぐ為中立同盟を結ぶ
1966年 イタリアと攻守同盟を結ぶ
戦場まで鉄道と通信のインフラ整備
ナポレオン戦術から学んだ戦場集中戦術(開戦前に戦線をひろく分散、開戦と同時に全軍を戦場に向かって戦力集中させる戦術)を軍に叩き込む
小国プロシアの連戦連勝
オーストリア軍の実情:兵器も古い、戦術も古い、兵器の士気も練度も低い、インフラ整備もできていない
⇒そこをついて一気に短期決戦に持ち込む
戦後、オーストリア主導のドイツ連邦を解体
⇒プロシア主導の北ドイツ連邦をオーストリアに認めさせ、ドイツ統一まであと少し
⇒残された南ドイツを統一するためには後ろ盾になっているフランスを撃破する必要あ
フランスとの戦争に備えて用意周到なプロシア
スパイを派遣し戦場の地形を徹底調査
首都ベルリンから独仏国境まで6本の鉄道を敷く
開戦とともに38万人の軍を派兵
それに対してフランス
軍は16万人のみ
鉄道なし
想い装備を背負った兵はボージュ山脈を歩いて越え、戦地まで赴くことに
しかしフランスでは対独復讐世論が渦巻き、これがWWIの惨禍の一因に
引用参考文献
神野 正史(2016).戦争と革命の世界史 勁草書房