戦争と革命の世界史 第六章欧米の目覚め についての備忘録
ヨーロッパ
1770年代 産業に革命が起きる
当時のイギリス 綿織物業が盛ん
綿織物が棉花から製品になるまでの工程
①綿繰り:奴隷を使って棉花から繊維を取り出す作業
②紡績:糸車をつかって繊維を紡いで糸にし、棒に巻き付ける作業
③織布:織機をつかって紡績された糸を織って布にする作業
ジョン・ケイが緯糸を通すための織機の部品「杼」を改良して、ばね仕掛けで自動かつ一瞬で通すことができるようにした
⇒工程③が大幅に短縮、②の紡績が追い付かなくなる
アークライトが水力紡績機(経糸用)
クロンプトンがミュール紡績機(経緯兼用)を次々と発明
⇒紡績能力が織布能力を逆転、③が追い付かなくなる
⇒カートライトが力織機を発明
⇒①が追い付かなくなる
⇒ホイットニーが棉繰り機を発明
織物革命と蒸気機関の発明が結びつき、飛躍的に生産力が向上
⇒蒸気機関の生産を支えるため、製鉄技術、鉄道の開発などあらゆる産業分野に改革
⇒「第一次産業革命」
この時点の動力源は利用範囲が限られていたので、機関車や蒸気船のみ
19世紀後半
アメリカ・ドイツ
これまでの軽工業(繊維・雑貨など)を中心とした産業構造から、重化学工業(機械・金属・化学)を中心としたものへ代わる
石油を原料としたアスファルト・プラスチック・ナイロンなどの合成樹脂が生まれる
動力源:「重い石炭」をエネルギー源として「重い鉄」でできた「低い出力の蒸気機関」から「軽いガソリン・ガス・電気」をエネルギー源として「軽金属」でできた「高い出力の内燃機関」へ
⇒飛躍的にエネルギー効率が高まる。自動車の発明
電気やガソリン、化学製品を作るために石油が必需、また車のタイヤを作るためにはゴムが必需
また大量生産された産業革命製品を国内だけで消費することは不可能
⇒原料の輸入元をおさえる、また商品の輸出先の確保のために「植民地」が必要に
第二次産業革命とともに帝国主義という新しいイデオロギーが誕生
⇒天然資源(石油・ゴム・銅・錫・亜鉛・ニッケル・硝石など)の豊富な地域や購買力のある地域、つまり中国・インド・中東世界が狙われるように
アメリカ大陸
最後の氷期の後期にモンゴロイドからアジア大陸からベーリング地峡を乗り越えてアメリカ大陸に渡ってくる⇒「インディアン」
⇒氷期が終わるとベーリング地峡は海峡に、アメリカ大陸はほかの大陸と切り離され独自の文化を育む
⇒アメリカ大陸の存在をしった白人が植民を開始
インディアンに白人の宗教・文化・制度を押し付けつつ駆逐と暴虐のかぎりをつくすように
⇒インディアンの人口は激減、文明は崩壊
北米をイギリスとフランスが、中南米をスペインとポルトガルが支配
イギリスはフランスを北米から追い出して、北米を独占しようと試みる
⇒ウィリアム王戦争、アン女王戦争、ジョージ王戦争。フレンチ&インディアン戦争と戦争を仕掛け、北米を独占することに成功
⇒度重なる戦争でイギリスの財政は破産寸前
⇒植民地に対して厳しい税金が課されるようになる
1764年 砂糖法(砂糖にかかる消費税)
1765年 印紙法(出版物にかかる税)
⇒植民地人は憤慨「代表なくして課税なし」をスローガンに不買運動を実施。
1767年 タウンゼント諸法(日用雑貨品にかかる消費税)
1773年 茶法(お茶にかかる消費税)
⇒植民地人の一部、「Sons of Liberty」と称する過激派が、ボストン港に停泊していた東インド会社の船に侵入、茶箱を海に投棄する(ボストン茶会事件)
⇒イギリス王ジョージ三世は憤慨、ボストン港を封鎖しマサチュセッツ州の自治を剥奪
⇒植民地側は「第一回大陸会議」を開催し善後策を話し合うも成果なく終わるが、とりあえずコンコードに武器弾薬の集積を始める
⇒情報が本国に漏れ、本国軍(ゲイジ将軍)が派兵され、植民地軍と交戦状態に(レキシントンの戦い)⇒死者8名、戦闘時間8分という小規模のもの
⇒コンコードの戦いでイギリスは惨敗、ボストン市に逃げ込むことに(ボストン包囲戦)
一年にわたる攻防戦の末、大陸軍がドーチェスター高地に砲台59門を設置
⇒気後れしたイギリス軍は撤退
ボストン包囲戦の最中にフィラデルフィアで「第二回大陸会議」が開催され、植民地軍改め大陸軍とし、独立宣言が採択される(7月4日アメリカ建国記念日)
1776年ボストン包囲戦で敗れ、1777年にサラトガの戦いで敗れた本国軍は1778年から南部で作戦展開を行い起死回生を狙う
⇒南部では本国軍(クリントン将軍)が優勢、ジョージアとサウスカロライナ全土を本国軍に制圧され逆転のチャンス
⇒将軍がコーンウォリス将軍になると劣勢に、本国軍はヨークタウンで降伏
1789年 フランスで174年ぶりに「三部会」が開催されようとしていた
もともと王朝の協賛組織にして諮問機関に過ぎなかった三部会
⇒次第に王権に反抗的になったため1615年三部会を停止
なぜ174年ぶりに三部会が開かれようとしているのか
⇒17世紀以来度重なる対外戦争が王朝財政を圧迫していたため
⇒これ以上第三身分(庶民)に増税するのは限界のため特権身分(第一身分の僧侶と第二身分の貴族)にも税負担をさせようと開かれた
三部会は開催前から議決方式をめぐって空転
⇒特権身分に有利な「身分別議決方式」と第三身分に有利な「議員別議決方式」で対立
第三身分の議員のひとりアベ・シェイエスは特権身分の合意が得られなくとも、議員別議決方式で採決することを宣言
「国民議会」と称して、「憲法を制定するまで決して解散しない」と宣誓する(球戯場の誓い)
⇒この動きに驚いた特権身分たちは武力弾圧の準備に入り蔵相ネッケルを罷免
⇒ネッケルは特権身分と第三身分の仲介役であった
⇒第三身分は激昂しバスティーユ牢獄襲撃事件(フランス革命の始まり)
翌月、国民議会派は「封建的特権廃止宣言」および「人権宣言」を発表
⇒自由・平等・国民主権・抵抗権・法的平等・三権分立などが歌われる
⇒ルイ16世は保守派貴族の言うがまま、宣言を却下、弾圧のために軍を招集。
⇒パリの民衆8000人がヴェルサイユ宮殿に押し寄せ(ヴェルサイユ行進)、王家は強制的にパリに連行
⇒ミラボーの死をきっかけに王家は逃亡を図る(ヴァレンヌ逃亡事件)も失敗
逃亡を知った国民は激怒、国王に対する信頼も雲散霧消
革命政府内に「王権重視のフィヤン派(富裕層支持)」と「王権無視のジャコバン派(貧困層支持)」の派閥を生む
国民議会は立法議会となる
フィヤン派は1791年憲法の制定をもってして事態の収拾を図ろうとするが、勢いを止められずオーストリアとの戦争にもつれ込む
⇒フランス軍は連戦連敗
⇒パリ市民はテュイルリー宮に殺到(八月十日事件)、国王はタンプル塔に幽閉され王権は停止
連戦連敗のフランス軍がヴァルミーの戦いで勝利
⇒立法議会は国民公会に改組
⇒国民公会の名において王政廃止を宣言。共和国宣言が発せられた。
⇒国王ルイ16世の処刑
自国にも革命が及ぶことを恐れ、ヨーロッパ主要国は大仏大同盟を結成、フランスは孤立
⇒国家的危機を乗り越えるには独裁政治をする必要あり(恐怖政治)
⇒革命裁判所や公安委員会の設置
⇒あらかじめ死刑が決まっているため、時間と費用と手間削減のためロベスピエールは予審を廃止、被告に弁護人や承認をつけることを禁止
⇒はじめは政敵であるジロンド派に対する粛清であったが、次第に同志のジャコバン派まで粛清し始め、最後には盟友のダントンまで粛清
⇒ロベスピエールは暴君として逮捕、処刑
⇒ナポレオンの登場
革命の中で掲げられた平等を押し進め、身分制度がなくなり「国民」という概念が生まれた
身分制度の廃止によって戦士階級がなくなり、戦争をするのは庶民階級に⇒「国民軍」の誕生
⇒常備軍では国民軍に勝てないことが明らかになってくる
⇒各国で国民軍の創設が急務に
⇒国民軍創設のためには国民をつくらなければならないが、国民は旧体制のなかからはうまれない
⇒支配者たちは自分たちの支配体制を護るために、自分たちの支配体制を壊さなければならないという矛盾を抱える
さらに国民が存在するためには、民族単位の国民国家の存在が必要
⇒統一運動が盛んに
引用参考文献
神野 正史(2016).戦争と革命の世界史 勁草書房