殺気の備忘録

読んだ本の内容についての備忘録

戦争と革命の世界史

第一章 今、世界はどうなっているのか

 

アメリ同時多発テロについて

21世紀は自爆テロとともに始まった

ブッシュ政権の対応はすばやいものであった。事件の三日後 政府見解を発表

「ハイジャック犯は全部で19名。犯行はアルカイーダによるもので、首謀者はその指導者ビン・ラディーン。犯行の予見はまったく不可能であった。」

⇒この政府見解に各方面から疑念

―犯行の予見は本当に不可能だったのか

―そもそもホワイトハウスはあらかじめこのテロを察知していたにもかかわらず、これを黙殺したのではないか

―このテロ事件全体がホワイトハウスの自作自演ではないか

⇒一笑に付すほど荒唐無稽なものではない。歴史を紐解けばアメリカはこうした前科が一度や二度ではない

 

ねつ造から始まったヴェトナム戦争

(第一次ヴェトナム戦争・別名インドシナ戦争(1946-1954年)、第二次ヴェトナム戦争(1960-1975年))

太平洋戦争のころまでフランスの植民地だった

⇒戦後独立に立ちあがり(第一次ヴェトナム戦争・別名インドシナ戦争)、1954年フラン。スをたたき出すことに成功

⇒当時は米ソ冷戦の真っ只中。このまま座視していればヴェトナムはソ連陣営に組み込まれる

⇒どうしても西側陣営に組み込みたいアメリカが介入してくる

ヴェトナム戦争勃発

 

アメリカははじめ呉延琰(ゴディンジェム)を傀儡として間接的なヴェトナム支配を画策

⇒らちが明かないため1965年に直接軍事介入を開始(北爆)

・この戦争でアメカ軍がヴェトナムに落とした爆弾の火薬量はWWIIで全世界の国々が使用した火薬量の2.7倍

・北爆と並行して8万5000キロリットルの枯葉剤を散布(枯葉作戦)

⇒たくさんの奇形児が生まれるなど戦後も長くヴェトナムを苦しめる

 

しkし、そもそもヴェトナム独立問題にアメリカは直接的な関係はない

本格的軍事介入のためには相応の口実が必要だが、ない

口実を作るため、1964年8月2日、アメリ駆逐艦を北ヴェトナム海域に侵入させ、北ヴェトナム群と小競り合いを発生させる(第一次トンキン湾事件)。

⇒被害は小さく、これでは弱いと判断

⇒二日後に「攻撃を受けた」(第二次トンキン湾事件)と世論を煽り、北爆を開始。

⇒しかし第二次トンキン湾事件は全くのねつ造ということがすぐに暴露される。

 

アメリカ政府が開戦を望んだ時の、伝統的な行動パターン

①まず、国民が納得するような戦争口実を探す。適当な口実が見つからなければ、徴発、因縁、誘導、ねつ造などあらゆる裏工作を講じる。

②こうして作り上げた戦争口実をもとに「リメンバー◎◎」とスローガンを加賀げ手国民を煽り、「正義VS悪」という構図をつくって国際世論を味方につける。

③開戦

 

アメリカの巧妙なプロバガンダはある重要な真実から大衆の眼を逸らす
「今目の前で起こっていることはすべて、悠久の歴史的出来事を背景として生まれたものであって、たったいま突発的に発生したものではない」
アメリカに対してこのような凄惨なテロを引き起こすにはそれ相応の理由がある

⇒次章解説

 

9.11後のアメリ

事件の翌日ブッシュ大統領が演説「もはやこれはテロなどというものではない。戦争行為そのものだ」

アメリカ世論はマスコミに煽られ、リメンバー9.11と叫び始める

⇒世界世論を一斉にこれに同調

NATOなどは結成以来初めて集団自衛権の行使を決定。

 

9.11を口実としてアメリカは次々と中東に戦争を仕掛ける「対テロ戦争

アメリカ政府は直ちにアフガニスタンにビン・ラディーンの引き渡しを要求

⇒当時のアフガニスタンは内戦状態、その大半を制していたターリバーン政権は「彼が主犯だという証拠があれば引き渡す。証拠がない現段階では引き渡すことはできない」

⇒じつはアルカイーダの犯行と断定し、全世界に公表までしていたが確たる証拠は持ち合わせていなかった。

⇒しかし米英を中心とした有志連合軍は「無限の正義作戦(のちに普及の自由作戦と改称)」と銘打って戦争を仕掛ける(アフガニスタン戦争・2001年10月7日)

アメリカの素早い行動と圧倒的軍事力によってターリバーン政権はひと月と保たずに崩壊

 

アフガニスタン戦争後、2002年1月ブッシュ大統領は一般教書演説で北朝鮮・イラン・イラクの三国を悪の枢軸とまくしたてる

アメリカは特にイラクに懸念を抱いていた

イラク湾岸戦争後の停戦決議で大量破壊兵器(核兵器を筆頭に、生物兵器化学兵器放射能兵器の改称)の不保持とその査察が義務浸けられていたが、1998年ごろからこれを拒絶し始めていた

イラク大量破壊兵器を開発している確かな証拠はなかったが、これを機にイラクを打倒し、親米政権を打ち立てようと考えた

⇒開戦のため国連の支持をとりつけようとするが1年間にわたる熾烈な攻防戦

開戦派 アメリカ イギリス

反戦派 フランス ロシア 中国

その間、アメリカの本気度に焦りを覚えたイラクは全面査察を受け容れるなど大幅に譲歩

⇒にもかかわらず、アメリカは有志連合を結成し、開戦する方向へ

2003年3月19日

CIAがフセイン大統領はバグダートのドーラ農場に潜伏しているとの情報をつかむ

⇒19日の早朝、先生布告をせず奇襲攻撃を仕掛ける

⇒CIAがつかんだ情報はガセであり、民間人が犠牲に

有志連合軍26万人を率いたアメリカを前にイラクは一か月ほどで解体

イラクから大量破壊兵器は見つからなかった

 

悪の枢軸』『テロ支援国家(リビアスーダン・シリア・イラン・北朝鮮キューバ)』とアメリカに名指しされていた国は旋律

特に動揺が激しかったのはリビア

⇒1980年代以来、核開発を行いアメリカと確執があった

⇒1986年アメリカはリビア空爆、1992年には経裁制裁

⇒狼狽したリビアカダフィ大佐はすぐにアメリカとの交渉の場につき、核兵器の開発をみとめ、これを断念することを受け容れる。

 

イラン・北朝鮮アメリカに歩み寄りをみせ、対話姿勢を示す

イラン:核兵器開発の中断・ヒズボラ(レバノン)やハマス(パレスティナ)との関係改善など、国際的孤立からの脱却を図ろうとする

アメリカはこの対応を弱腰外交とみて対イラン制裁を強化しようとする失態

アメリカの強硬姿勢に、イランや北朝鮮も態度を硬化させ、再び対立姿勢

アメリカの中東政策は暗礁に乗り上げる

 

 

 引用参考文献
神野 正史(2016).戦争と革命の世界史 大和書房