殺気の備忘録

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「正しい政策」がないならどうすべきか 序論と動物実験に関する内容の備忘録

「正しい政策」がないならどうすべきか 政策のための哲学

ジョナサン・ウルフ(著) 大澤津・原田健次朗(訳)

 

(1)序論

公共政策の場における討議と抽象的な道徳的議論の異なる点

①「不同意することに同意する」ための余地がほとんどない。

⇒なんであれ政策が求められる。

②現状維持を有利にするバイアスが不可避的に存在する。改革を主張するためのコストは自覚的あるいは無自覚的に現行制度の維持を主張するコストより高い。

⇒われわれは現在の状態から出発するということ

③ある道徳的見解が正しいあるいは説得的であるかどうかは、それが広く共有されているか、広く受容されているがどうかという問題に比べれば二の次である。

「判断の重荷」(ロールズ) 理性の自由な使用を前提にすれば、良心をもち合理的で。道徳的に思考する人々は、互いに異なる矛盾した判断を持つにいたるだろう。

⇒物事を進展させるための最良の方法は、より多くの人を一致した見解に引き入れ、人々がその政策を支持する理由は異なるにしても、政策が広く支持されるようにすること

重なりあうコンセンサス(ロールズ) ある公共政策を、異なった道徳的な前提に立ちつつも支持することは可能である。哲学的な相違がすべて、政策レベルの相違をもたらすわけはない。

(例)絶対的な道徳的条件を奉ずるカント主義者と苦痛に対する快楽の差し引きを最大化しようとする功利主義

何の意味もないのに無実の人を殺すことは間違っているという点では意見が一致

 

古来の知恵という考えには一定の理がある。

他方で古来からの偏見もまた存在する(ミル)

 

第一章 動物実験

 

動物実験に対する道徳的態度 3つのグループ
動物実験がもたらしてくれる科学的または医学的な利益は、すべてを考慮すれば、動物への危害よりも上回ると考える人々
②どちらの側にも反論しがたい議論があり、これは明確な解決のない真正の道徳的ディレンマだと結論する人々
③道徳的な考察に従えば、われわれが科学的調査のために動物を使うことは間違っていると感じる人々

 

イギリスでの動物実験に関わる主要な法律

動物科学実験手続法(1986年制定)「この法の下では、あらゆる生きている脊椎動物またある種のタコについて行われる、その動物に痛みや苦痛、苦悶、または持続的な損傷を与えるようないかなる科学的行為も、ライセンスを要する規制された行為である」

⇒研究の利益が動物に対する危害を上回り動物実験が必要とされる情報を得ることができる唯一の実行可能な方法である場合のみライセンスが与えられる。

 

「動物の解放」(ピーター・シンガー)

動物たちは人間と同じように痛みを感じることができるので、人間と同じ道徳的配慮をもって扱われるべきだ

 

動物実験の倫理に関する議論で、二つの個別だが混ざり合った問いが区別される必要がある。

①人間に関する発見をするために、動物実験は有用な方法なのか(科学的問題)

⇒動物で示されたモデルは役に立つのか

動物実験は認められるべきであるか(道徳的問題)

たとえ動物実験が有効であったとしても、動物実験は認められるべきであるかという道徳的問題は解決しない

逆に、動物実験は役に立たないということが証明されてしまえば、それは動物実験は科学的に欠陥があるということのみならず、道徳的にも誤っているということを示すのに十分。

 

標準的なアプローチ―道徳的なコミュニティを定義する

人間についての何が、われわれを「道徳的な扱いを要求できるコミュニティーのメンバー」にするのかを定義し、そしてそのことが少なくとも何らかの動物についてもいえることであるかを探究する

⇒「人間であること」が決定的に道徳的な意味のある特徴である。

人間は動物よりも大事なのであるのは明らかであるという考え方と共鳴。

「種差別」

 

なぜ人間が道徳的に特別なのかを説明する、何らかの根本的な特徴はなにか

道徳哲学者たちによって提案された見込みある6つの候補

①感覚

②自律

③善の観念をもつこと

④発展開花する潜在能力

⑤社会性

⑥生命をもつこと

これらの特徴のうちいずれかが道徳的コミュニティのメンバーシップのための判断基準になりうるか。

領域的特徴(ロールズ)

あなたがそれをもつかもたないかでしかないような、白黒はっきりつくもの

 

「問題は彼らが話したり理性的に思考したりできるか、ではなく、彼らが苦痛を感じることができるかどうかである」(ベンサム)

◎この見方によれば、神経系をもつあらゆる生物は道徳的コミュニティのメンバ-である

◎きわめて機能の損なわれた神経系をもったり、永久に続く昏睡状態にあったりする少数の人々を道徳的コミュニティから排除してしまうという問題

もし人間が権利を持ち、人間とほかの感覚を持つ動物に道徳的な違いがないのであれば、そのような動物もまた権利をもたなくてはならないことになる

 

自律や意思または自由のようなものを道徳的コミュニティの加入条件となる特徴とするアプローチ(カント的伝統に基づく)

二つの帰結

①高いレベルの認知能力をもたない生き物たちが道徳的コミュニティから排除されてしまう

われわれは動物を、自分自身の道徳的な地位を汚すことのないよう、自己への関心から適切に扱うべきである(カント)

しかし、これは話をあべこべにしているだけ

もし、動物たちをひどく扱うこと自体が何らかの意味で間違っていないというなら、なぜ彼らをそのように扱うことがわれわれの人間性を損なうことになるのか全く明らかに出来ない

②赤ん坊や、深刻な学習障害を持つ大人、認知症を患う人々が道徳的コミュニティから排除されてしまうかもしれない

 

どの特徴が道徳的に意味があるのか問う問題⇔これらの特徴がどのように考慮されるべきか

動物たちは人間によって扱われる結果として長時間にわたる重度の痛みによって苦しめられてはならないという「準権利」をもっているといえるかもしれない

 

人間とほかの生物がみな生命をもっていて動物の生命は価値が無いとの扱いを受ける一方で人間の生命が尊重されているならその違いを説明する何らかの差別化のポイントが提示されなければならない

おそらく価値があるのは生命それ自体というよりは、これらの人生の計画やプロジェクトが連続すること

 

問題回避という方向でなされた先導的な提案

「3つのR」(ラッセルとバーチ)

改善(refinement):実験はできるだけ動物に対して危害が少なくなるように修正されるべき

減少(reduction):使用される動物の数の減少を要求

置き換え(replacement):動物を実験することによって追求される知識は、他の何らかの方法でも達成可能かもしれない

 

現代の公共政策上の論争

動物が権利を持つかどうか、すべての動物は平等かどうか、また動物たちの生物のどの特徴が道徳的に意味があるのかといったことについての論争ではなく、動物たちの道徳的に意味のある特徴がどのように人間による動物の取り扱いにおいて考慮されるべきかについての論争である

 

道徳的議論は人々の行動を変えるというよりは、自分がしていることに罪悪感を抱かせる力の方がずっと大きい。

 

引用参考文献
ジョナサン・ウルフ 大澤津・原田健二郎(訳)(2016).「正しい政策」がないなたどうすべきか 勁草書房