殺気の備忘録

読んだ本の内容についての備忘録

「正しい政策」がないならどうすべきか ドラッグに関する内容の備忘録

第三章ドラッグ

 

先進国社会の法律は、快楽や気晴らし用のドラッグの製造、供給、所持及び使用を規制している。

多くの自由主義者は個人の行動に自由に干渉できる唯一の正当性は他人に対する危害の防止だけである。

⇒しかし。現在違法扱いになっている多くの薬物を使用することによって生ずる第三者に対する顕著な危害を見出すことは極めて難しい。

 

現在異本扱いになっているドラッグのいくつかはアルコールやたばこよりも使用者本人と第三者に対する危害がはるかに小さい(例:MDMA、大麻LSD)

大麻の服用と何らかの精神疾患との関連はよく指摘されてきたが、なお論争中。

 

アメリカ:ドラッグのない社会の実現を表明

ドラッグの使用者と販売者に厳しい刑罰を科したり、ドラッグの供給網を断ち切る対策

 

ドラッグ無き社会を目指そうという政策⇒あらゆるドラッグが等しく悪であり、排除されるべきものとして扱わなければならない。

このような無差別なアプローチをとった場合、ドラッグに関連した危害が増える可能性

(例:ヘロインの所持とエクスタシーの所持が法律において同等の重さで扱われており、かつヘロインの方が入手しやすい状況の場合、ヘロインに手を出す人が増える可能性)

ドラッグ無き社会という目標に明確に代わるべきなのは ドラッグによる害悪を最小化するという目標である。

⇒この考えによるとあるドラッグは別のドラッグよりもソフトなものとして取り扱われ、最もハードなドラッグの使用を減らすことが規制の主たる目的になる。

 

ドラッグの使用を公衆衛生の問題として捉えることは、多くの人はそれを賢明な政策とみるだろうが、個人の自由に対する侵害である。(トマス・サス)

 

薬物規制に対する極めて厳格な一つのアプローチは自己所有権というリバタリアン的原理である。

人は自分の体のなかに入れたいものは何でも服用する権利がある。しかし、自己所有権だからといって、他人に何らかの害悪を加えることは許されない

 

リバタリアン的、自由市場的な主張の背景にある別の前提は、現在の規制が少なくとも一定程度は失敗しているという認識である。つまり、現在の政策が、抑止効果を完全に発揮しているとは到底言えないという認識である。

また以下の3つの問題についても考慮すべきである。

①少数であっても逮捕され訴追された人々を投獄することが個人と社会にもたらすコストがある。

闇市場が存在することによるコストがある。

③野放図な薬物供給に起因する過剰摂取と中毒の問題がある。

 

これらを考慮すればすべてのドラッグの製造と供給を合法化するほうがはるかに望ましいと論じられることがある。さらに、その場合には政府は極めて高い税金を課して、税収を増やすことができるとも論じられる。

 

薬物を合法化することによってその害悪を減らすことができるという考えにはさまざまな問題がある。

闇市場を排除するためには有効な方策だとしても、それが犯罪全体にどう影響を与えるかはわからない。

②新たに合法化されたドラッグの価格はいくらになるのか

もし課税を通じて値段が高く維持されるならば、違法な闇市場で合法的な市場よりも安い価格で薬物が売られるような状況が生じてしまう

③危険な犯罪のリスクを高めるかもしれない

ドラッグが合法化されることによって、問題状況が変わってしまうということは明確だが、問題が解決されるより増えてしまうのかどうかは全く予測ができない。

 

多くの人がアルコールによってそうするのと同じようにドラッグによって快感を得ているという事実は否定しがたい。ドラッグは使用者自身に何の恩恵ももたらさず第三者に多大な危害を及ぼすから禁止できるという議論は極めて通りにくい。

 

ドラッグの使用に反対する別の論法は ドラッグは本物でない経験をもたらすというものだ。ドラッグの使用者は快楽を感じるが。その快楽を獲得するために何かをしたわけではない。それはむしろ現実世界からの逃避だ。

⇒これはほかの多くの合法的な体験にも共通することである(例:アクション映画を見に行く)

⇒このことはドラッグを使用しないことの理由にはなっても、ドラッグを禁止すべき理由にはなりえない

 

ドラッグが一般的に作用する仕方それ自体が道徳的非難の根拠になると論ずる人もいる

脳の中の「応報」というシステム:個人の生存や再生産にとって有益な行動には肯定的な強化反応が与えられる。しかし、これと逆の効果を持つ行為には否定的な反応が与えられる。

ドラッグはこのシステムから基本的に外れるもので、通常の原因なしに報酬が与えられる。⇒道徳的懸念

もしドラッグの服用が人間の幸福にとって何の悪影響も与えないのであれば、この「生物学的」議論には何の道徳的意味もなくなる。

⇒問題になるのは生物的メカニズムではなく、薬物使用によって生ずる結果であり、とりわけ中毒である。

ドラッグの常習的な服用:健康に悪影響をもたらし、人生の様々な側面に対する関心を吸い上げる。家族、友人、仕事やその他の利害、社会的関係性などの無視につながる。

 

「これだけ多くのドラッグ使用者が投獄されている中で、ドラッグを禁止し続けることは、20世紀におけるわれわれの刑事法システムが犯す最大の不正義である。」(ダグラス・フサーク)

⇒ドラッグの使用によってしゅずる第三者への危害はあまりに誇張されており。現行の政策を正当化するものではない。むしろ、個人の権利を侵害するものである。

⇒大きな快楽をもたらし、目立った害悪をほとんど与えず、様々な合法的な活動と同じく他者に危害を加えないような行為を法的強制のメカニズムによって妨げようとすることは道徳的に擁護できない。

 

現状は長年の英知の積み重ねである(バーク)

現状は長年の偏見の積み重ねである(ミル)

変化を正当化することは現状維持を正当化することよりも難しい。変化は予期せぬ結果をもたらす。⇒「見知らぬ悪魔より知り合いの悪魔の方がまし」

 

現状維持に特権的地位を与える理由

①変化は不確実な結果をもたらす

②人々は現行の法律に基づいて期待を形成しているので変化させるためには正当性が必要であり、移行期間という問題にも対処せねばならない

 

政策が明確で首尾一貫した理由に基づいて導入されることは極めてまれ

⇒妥協やコンテクスト、プラグマティズムがいつも背景にある。

議論には「現状維持バイアス」があり、それにどれだけ哲学的な正当性が無いと思えようとも、政策において我々はそれを背負っている

 

引用参考文献
ジョナサン・ウルフ 大澤津・原田健二郎(訳)(2016).「正しい政策」がないなたどうすべきか 勁草書房